どこにもない場所


 盆の上には、二人分のティーセットがのっていました。
 それをテーブルに置き、燐はしずしずと客間を出ていきます。
 しばらくして、私は「燐」と声をかけました。
「はいっ!?」
 客人珍しさでしょう、扉の裏に隠れていた燐が飛びあがりました。
「やめてください」
 飼いはじめてからだいぶ経ちますが、ペットたちは私に隠れて何かしらをしようとするのをやめません。
 第三の瞳があるのですから――いえ、なかったとしても分からないはずがありません。げんに、この前はこいしに悪戯を見つかっていました。
 気がつくと、客人が退屈していました。この客人も、それを私に隠しているつもりのようです。
 心を読まれていると分かっていても、身についた習慣とはかくも消しがたいものなのでしょうか。
「退屈ですか」
「退屈ですとも。ああ、妬ましい」
 客人は開き直ったようでした。
 客人は新入りの妖怪で、名前を水橋パルスィといいました。
 新しく地底にやってきた妖怪は、私のところに挨拶に来る決まりになっています。
 たいていの妖怪はそれきり私に会おうとはしないのですが、このパルスィはどういうわけか、地霊殿に居ついています。
「何か話してよ」
「あいにく話題が少ないもので」
 パルスィは呆れた顔をしました。呆れた、という心の声も聞こえました。
「普段――」
 言いかけたパルスィの頭に、燐をはじめとするペットの像が浮かびました。それから、ペットの心を読む私の像も。
 パルスィの頭の中のペットは、餌をもっとくれ、今日のは量が少ない、などと訴えていました。
「――妹とは何を話しているわけ」
「妹が外で見てきたものの話をします」
「あんたは」
 私はすこし考えました。
 私の毎日といえば、食事と睡眠の他は、仕事とペットの世話くらいのものです。食事と睡眠はかならずしもしていませんし、仕事の話は是非曲直庁から緘口令がしかれています。
「ペットの話をするときもあります」
 パルスィは見るからにげんなりしました。
 どうやらパルスィが人間だったころ、貴族のあいだでは猫を飼うのが流行っていたようです。さんざん話を聞かされて嫌気がさした記憶までが想起されていました。
「怨霊を飲みこんだ話とか――」
 パルスィは鬼のような形相になりました。橋姫なので、似たようなものですが。
 怪談話も流行っていたようです。ということは、普段妹にしているような話はお気に召さないでしょう。これは困りました。
 ふと思いつき、私は紅茶を一口飲んでから言いました。
「では、ある覚の姉妹の昔話をしましょう」
 パルスィが興味をひかれたようなので、私は話をはじめました。

 昔々、幻想郷の外に、覚の姉妹がいました。
 父は妹が生まれる前に死に、母も妹が生まれて少しして死にました。

 母が死んでからしばらくの間、姉妹はその日を生きるのに精いっぱいでした。
 けれどもほんの少し余裕ができたある日、姉妹は思いました。
 これからどうしよう、と。
 幻想郷に行こう、と言いだしたのがどちらだったかは分かりません。どちらにしろ、母の言っていたことに影響されたのは確かです。
 母はよく言っていました――あんたたちも、幻想郷に行けばしあわせになれるだろうね。

 長い旅の末、二人は幻想郷に辿りつきました。
 ところで、姉妹が母から聞いたのはこんな話でした。

『もともとは、幻想郷は妖怪たちが住んでいました。やがて人間が入ってきて、妖怪と人間は一緒に暮らすようになりました。
 けれども、鬼たちは人間と一緒に暮らすのを嫌がりました。そして、嫌われ者の妖怪も集めて、山の中に楽園を作ったのです』

「それって、地底?」
「そういうことです」
「さとりは、是非曲直庁に派遣されて地底に来たんじゃ――」
 私は苦笑しました。
「最後まで聞いてください」

 姉妹は、鬼たちが作ったという楽園を探しました。幻想郷に山はひとつきりだったので、どの山かはすぐに分かりました。

 私は言葉を切りました。
「――それで?」
「そこには、何もありませんでした」
 パルスィが目を見開きました。

 どんなに探しても、楽園は見つかりませんでした。
 妹は泣きました。姉は呆然としました。
 妹が泣きじゃくっているにもかかわらず、そこはこの世の果てのようにしんとしたままでした。

「どういうこと?」
「言葉どおりの意味です。
 姉妹は幻想郷に行くことはできても、楽園に行くことはできなかったのです」
 パルスィは複雑な表情をしました。
 それもそのはずです。「私がかつて地底に行こうとしたにもかかわらず、是非曲直庁の誘いでやってきた理由」は分かったものの、肝心の、「私たちがどうして地底を見つけられなかったか」が分からないのですから。
 パルスィは私に疑問をぶつけましたが、答えを教える気がないと分かると、あきらめて暇を告げました。
 パルスィは地霊殿を出てどこに行くだろう、と私は考えました。まだ決めていないようですから、寄り道をするかもしれないし、家に帰るかもしれません。けれども、いずれは持ち場の縦穴に行くでしょう。
 そうしたらきっと、昔話の謎も解けるに違いありません。

***

 ――地上は今、朝なのだろう。
 地霊殿を辞し、縦穴に戻ったパルスィが最初に思ったことはそれだった。
 地底は、山の内部の空洞にある。というより、空洞を見つけた鬼たちがそこに都市を作ったのだろう。入口は、山の中ほどにある風穴だ。
 その風穴から、この時間だけは光がさしこんでくる。地底において、地上の光がさすのはこの時間、この場所だけだ。パルスィはその光景が嫌いではなかった。
 ふいに、パルスィは「地底」という言葉に引っかかるものを感じた。
 さとりは、姉妹が探したという楽園が地底だと認めた。
『それって、地底?』
『そういうことです』
 けれども、さとり自身は一度も『地底』とは言わなかった。
『楽園』それから――

 鬼たちは、山の中に新しい都市を作りました。

 ――山の中。
 山の内部は、文字通りの山の「中」だ。
 けれども、山の中といわれたら山の「上」の森の中か何かを思い浮かべはしないか。
 ――いや、とパルスィは首をふった。
 さとりは、ひいてはさとりに幻想郷の話をしたという母は覚だ。
 話をした相手の心が読めるのだから、と考えてパルスィははっとした。
 ――さとりの母に地底の話をした相手も、山の「上」だと思いこんでいたとしたら。
「そういうこと……」
 山の「中」ときいたさとりと妹は、山の「上」を探した。
 ゆえに地底――嫌われ者の妖怪を受け入れてくれる楽園を見つけることはできなかった。
 後に旧地獄跡の管理人としてやってきたものの、二人は地底でも嫌われ者になった。
 ――けれども、とパルスィは思う。
 二人が嫌われたのは、是非曲直庁からやってきたためではなかったか。パルスィは、いやいや出席した旧都の宴会でこんな会話を耳にしたことがある。
『さとりの本当の仕事は、怨霊の管理ではなく地底の監視さ』
『あんた、こいしちゃんが瞳を閉じる前は、さとりが怨霊の管理、こいしが地底の監視をしてるに違いないって言ってたじゃないか』
『あんただって、怨霊の管理なら、わざわざ心を読めるやつを連れてくる必要がないって言ってたくせに』
 ――遠い日に、二人が山の中に地底の入口を見出していたならどうなっていただろう。
 さとりは、旧地獄跡の管理人にはならなかったかもしれない。ただの地底の住民になっていたかもしれない。嫌われ者にも、ならなかったかもしれない。妹も、第三の瞳を閉じなかったかもしれない。
 トンネルの先を見上げる。姉妹が見つけることのできなかった、地底の入口。そこだけは切り取ったように白く眩しい。
 名状しがたい感情が、胸の奥からせりあがってくる。それは怒りのようでもあったし、悲しみのようでもあった。
 パルスィの知るかぎりでは、そんな感情を表す言葉はひとつしかない。
「妬ましい」
 言ってはみたものの、何が妬ましいのか、そもそもそれが本当に嫉妬なのか、自分でもよく分からなかった。
「地上の光が妬ましい」

END
初出:東方創想話ジェネリック

TOP

inserted by FC2 system